あまり個人的な思いをブログに書くのは嫌なのですが、
忘れたくないので、書き残しておこうと思います。
バンクーバーにはたくさんのホームレスがいて、
その多くの人がドラッグやアルコール問題に関与しています。
この国の抱える大きな問題のひとつですが、
ものすごく根深い問題なので、 そう簡単には解決できません。
このことについては、人それぞれ考えることがあると思います。
私はホームレスの方を相手にした仕事をしているわけではありませんが、
たまにある団体のお手伝いで、ホームレスの方達に食事を提供しています。
私の役割は温かいスープを渡すこと。
このスープは前々日に作られ冷凍され、当日ガスコンロで暖めてからサーブします。
そのときに集まった方達とおしゃべりをしながらお昼をかけて数時間を一緒に過ごす。
ただそれだけのことなのですが、
冬などは2時間程度でも両手が真っ赤になり鼻水が流れます。
中にはずっとしかめっ面をしている人、始終笑っている人と色々ですが、
ずーっとしゃべり通しの人も多いです。
そしてこういった行いを幸と感じて下さり、
楽しみにして来てくれる方もいます。
「このときばかりが人と触れ合える時間だ」などと
話して下さるおじいちゃんもいますし、
若い男女も大勢います。
終わりの時間に近づくと、
残ったスープを空きのコンテイナーに入れて持ってかえることが出来るのですが、
彼らが次にそのスープを食べるときには冷たいままで食べるのかなと思うと
何とも言えない哀愁を感じます。
今日も若いお兄さんがパンを1袋持って帰っていいかと聞きに来たとき、
まだ沢山残っていたので「もっとどうぞ」と言ったら、
「ひとつで十分だよ」と言われました。
そして何度も彼が「ありがとう」という姿が印象に残りました。
そんな彼を見ていたら、持っているのにもっと欲しがる姿勢とか、
人から頂いても感謝できない人が大勢いる中で、
私はどうだろうと考えました。
私には家族も住む家も仕事も、そして一緒に時間を過ごせる主人もいる。
暮らしは楽ではないけど、衣食住には困ったこともありません。
ホームレスになりたくてなっている人もいれば、そうでない人もいる。
ドラッグやアルコールに関わっていない人もいる。
だから周りの人が知ったかぶりをして、
一言で「彼らはこうだから」と決めつけてはいけないのです。
この国に住んでいると、ホームレスの問題についての話題は
多かれ少なかれ誰もが口にすることでしょう。
だからこそ、もっときちんとした知識を持たないといけないのかもしれません。
たった1杯のスープの中にも、いろんな人生と意味が隠されているのです。
そして自分が恵まれた環境にいられることを、感謝しなくてはならないのです。
忘れたくありません。