Monday, May 23, 2011

Ibsen's Et Dukkehjem

ヘンリク・イプセンの「人形の家」という戯曲があります。
初めてその台本を読んだのは21歳のとき、英文学の授業ででした。
それまでは、家族の和気あいあいとした幸せが語られているものだと想像していたので、
フェミニズムを示唆する内容だと気付いたときはほんとうに驚きました。 

あらすじを簡単に書くと・・・弁護士である夫と3人の子供を持つノラは、
以前病気になった夫を助ける為に、署名を偽造し、
夫の部下から借金をしたことがあった。
その部下がクビになりそうになったとき、
ノラは夫に解雇しないよう頼むが断られてしまう。
ある日、夫の留守中にその部下がノラを訪ねて来、
彼女の犯罪をばらされたくなかったら、自分のクビを繋ぐよう脅してくる。
結果的に、夫にも自分のしたことがバレてしまうのだが、
そのときの夫の態度を見たノラは、
初めて彼が自分を人間としてみていないことに気付く。
そして彼女は自分の自立を決意する。

写真は1959年のTVドラマで、主演は「エデンの東」のジュリー・ハリスと
「サウンドオブミュージック」のクリストファー・プラマー。
ちなみにクリストファー・プラマーはカナダ人俳優。個人的に、とてもハンサムな人だと思います。 

 「現代劇の父」と呼ばれるイプセンのポートレートを見ると、
白髪白鬚がすごいことになっている気難しそうなおじいさんなのですが、
そんな彼の最高傑作と呼ばれるものが4つの写実主義現代劇です
(「社会の柱」「人形の家」「ゆうれい」「人民の敵」4れぞれ、1877、1879、1881、1882年)
これらの戯曲は当時タブーとされていた社会問題を暴露し、批評したもので、
「善=幸福」「悪=苦痛」という、
物語に道徳の詰まった結末を提示するヴィクトリア調の考えを否定した問題作でした。
つまり、ヨーロッパの社会、また男女の地位に対しての価値観に、
真っ向から疑問を投げつけたのです。

 この戯曲は、ノラが家も夫も子供もすべて捨てて、
家を出て行くシーンで終わるのですが、
 当時の授業で出た課題に、「『人形の家』にもし続きがあったらと過程して
その後のストーリーを書く」というものがありました。
そのレポートが今手元にはないのだけれど、どんな結末にしようかと考えた結果、
私はノラが大きな街へと出て、仕事やこれから住む場所を探す情景を書きました。
でもそれは彼女が思っていたほど簡単ではなかった。
例えば金銭的なことや、身元証明などにおいても、
現実的に当時のノルウェーでは、
女性が自立することは相当難しかっただろうと思ったからです。
そして最後に、街の広場のベンチで呆然としているノラの心情をこう書きました。

 “In that house, I somehow lost myself. 
And now, here I am having a bright future; I’m losing myself. Again.” 

自分がひとりでは何も出来ないと知ったノラの失望感。
同じ女性として、フィクションなのに何て冷たいんだろうと自分でも思うのだけれど、
ノラが飛び出した世界は、そういった冷たい現実だったと思うのです。 

イプセンの、特に「人形の家」は、
日本の新劇運動や中国の女性解放運動の発端になったそうですが、
世界で女性独立にこれほど影響及ぼした作品はないのではないでしょうか。
幸せだと思って「家庭、または女性はこうあるべきである」という
枠の中で生きていたノラを、イプセンは人形と呼んだのです。
つまり彼は女性を、意志の持てない、
または自分の意見を受け止めてもらえない儚い存在として描いたのです。 
私は男と女は平等ではないと思っています。
それは能力的なことだけではなくて、身体的なことをはじめ、様々なことにおいてです。
でもそれはどちらかが「劣る」という意味ではなくて、
男が女を縛り付けたりするような、
女性が意見を持てないような世界が、当然だと言っているわけでもありません。
ノラの時代の女性が持てなかった世界を、私も含め、現代の女性は手に入れました。
それは凄いことだと思うし、バリバリ働く女性を見て、本当にカッコいいと憧れます。 
女性が自立するのが非常識ではない世界。
(私が住んでいる場所では、という意味ですが)
束縛からの解放、自己表現、自由。
そういうものが実在する素晴らしい世界。

この現代がイプセンがノラに与えたかった世界だったのでしょうか。
今の世界こそが、イプセンが当時提示したかったものなのでしょうか。
彼は空の上から今の時代を見下ろして、
「そうそう」と頷いているのか、
「まだまだ」と目を閉じようとしているのか、
それとも「ちがう、ちがう」と首を横に振っているのか、私にはよく分からないのです。
 イプセンは、1906年の今日、78歳で他界しました。