「われらの罪を赦し給え」の代わりに、
「罪ゆえにわれを打ち給え」という言葉こそ、
もっとも正しき神にたいする人間の祈りであるべきだ。
「ドリアン・グレイの肖像」 オスカー・ワイルド 福田恒存訳
童話の「幸福な王子」もいいけれど、
やっぱり私のお気に入りは「ドリアン・グレイの肖像」と「サロメ」。
ドリアン・グレイを読むと、人間関係やモラルついて考えさせられます。
そして「出会い」はある意味ギャンブルだなあと思います。
人との出会いには多かれ少なかれ影響があるもので、
どんな人と付き合うかで、人生は割と簡単に変わるものだし、
悲しいけれど、出会いすべてが「善」ではないから。
何度読んでも、
やはりまわりの大人がしっかりと若者に手を差し伸べてあげられる世界が
本来の形であって欲しいと思ってしまいます。
この物語では、人間の最大の恐れのひとつである「老い」に焦点を当て、
モラルを忘れた人間の愚かさと儚さを浮き彫りにした問題作でしたが、
やはり主人公への一番の影響は「ある人との出会い」でした。
外国人というハンディを背負いながらも、
保守的なイギリスの社交界で生きていたワイルドは、
何を考えながらこのお話を書いたのかな。
自分を誰と重ね合わせていたのかな。
主人公?画家?それとも、主人公のメンターになる伯爵かしら。
ドリアン・グレイは不毛なお話ですが、
いろいろ考えさせられます。
アイルランドの詩人であるオスカー・ワイルドは
110年前の今日、自身の人生の幕を閉じましたが、
彼が残した言葉には
現在を生きる私たちの背中を、力一杯押してくれるものがたくさんあります。
どうぞ読んでみて下さい。
どうぞ読んでみて下さい。
ワイルド氏、どうぞ安らかに。
上のコラージュは私がDAにしたものです。
上のコラージュは私がDAにしたものです。