Thursday, January 13, 2011

Dazai

余りにも身近なのです。
太宰のことを言われるのは自分のことのように羞しいのです。 

『太宰治論』奥野健男著



2009年は太宰生誕100周年だったので、
日本ではかなりの太宰ブームになり4作ほど映画も作られたそうで、
最近機会があって、そのうちの3本を観ました。
「ヴィヨンの妻」、「斜陽」、そして「人間失格」です。
「ヴィヨンの妻」の短編はもの凄く短いので、最初映画になったと聞いたときは
どこをどう引っ張ってくるのか不思議でしたが、「桜桃」や「きりぎりす」など、
太宰の別の短編のシーンが加えられて、良かったと思います。
「人間失格」では、主人公の大庭葉蔵役の生田斗真さんの仕草や表情がもの凄く上手で、
とても素敵な映画になっていました。


でもやっぱり映画と小説は違うんだなあと感じて。
小説を映像化することによって、どことなく
太宰の湾曲な魅力が失われてしまったような気がしました。
映像では、文章から読み取れる微妙な儚さが分からないから。
ブームというものを否定しているわけではないけれど、
ブームになるということで、作品の魅力が掠れると思ってしまうのは私だけでしょうか。
100周年ということで彼の作品が再び人の目に触れられるきっかけとなったのは
いいことなのでしょうが、
ブームに乗って映画化されたことで、
彼の小説がただのコモディティー(商品)のようになってしまったような気がして
ちょっと残念です。

彼の最期の作品「グッド・バイ」が太宰の自伝だと言う人も多いですが、
私には彼の作品すべてに太宰そのものが映し出されているような気がします。
(そしてそれを作者も意図していたのではないかと思う。) 
どうして太宰は奥さんと子を残して、何度も愛人と自殺しようとしたのか。
猪瀬直樹氏による「ピカレスク 太宰治伝」に書かれているように、
太宰は境界性人格障害だったのか。
そして何故彼は自分が生きることをそこまでも恥じたのか。
色々な疑問が、彼の死後60年以上経った今でも議論されていますね。
これは私の勝手な推論なのですが、
太宰自身にも、自分の恐れていること、自分の考えていることなんて、
(私たちの多くと同じように)これっぽっちも分からなかったのではないかなあ。


人間としてみると、太宰のような人生はどうなんだろうって思います。
男としてどうなんだろうって。
奥様の美知子さんは何を思っていたんだろう。
彼の子どもたちはどうだったんだろう。
彼の作品、そして彼の人間性は当時の日本人にどう響いたのかな。
物語のことだけでなく、いろんなことも考えてしまいます。

でも太宰治の描いたお話がとても好きです。
文章の緻密さ、題材の面白さ、
文章の中で描かれる彼の女性観、などを見つけるのも興味深いと思います。

太宰治という人は、とても人間臭い人だったのかな。
そこが魅力で、儚さが何か大切なもののように思えてしまう。
きっとこの先も多くの人を魅了していくのでしょうね。

せっかくなので私のおすすめをひとつ。
太宰の故郷である青森が舞台の紀行文で、
物語風になっていて読みやすい「津軽」です。