退屈な女より もつと哀れなのは かなしい女です。
かなしい女より もつと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もつと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もつと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もつと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もつと哀れなのは 追はれた女です。
追はれた女より もつと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もつと哀れなのは 忘れられた女です。
マリイ・ロオランサン「鎮静剤 Le Clamant」堀口大學・訳
上の詩は、パリの女流画家として活躍したマリー・ローランサンの詩で、
堀口大學の翻訳の中でも最も有名なひとつです。
外交官として様々な国に滞在した父、
ベルギー人の義母と異母兄弟たちを持った堀口氏は、
23歳のときにスペインでマリー・ローランサンと知り合いになりました。
その後ローランサンよりアポリネールの詩を紹介され、
フランスの文学作品を訳すようになるのです。
この詩をはじめて知ったのは
昔 母と一緒に読んだ小沢真理さんの「世界で一番優しい音楽」ででした。
当時私は中学生でしたが、
言葉には洗わせられない衝撃があったのを覚えています。
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ローランサンは私生児として1883年にパリで生まれました。
高校卒業後にアカデミー・アンベールで絵の勉強をしていた頃、
後にピカソと共にギュビズムの創始者となる
一つ年上の画家ジョルジュ・ブラックと知り合いました。
ちなみにキュビズム(Cubism英)とは、
20世紀初頭に創始された「多数の角度から見た物の形を一つの画面に収める」という技法。
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていた一点透視図法だったため、現代美術に大きな影響を与えました。
どうでもいいけれど、私はあんまり得意じゃないタイプです。
その為、ローランサンもギュビズムを強く思考した作品を描き始めた頃、
モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)というアトリエで、
ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールに紹介されました。
当時アポリネールは27歳、ローランサンは22歳。
すぐさま二人は恋に落ちたそうですが、 関係は長くは続きませんでした。
(理由に至っては長くなるので割愛。)
別れてからもふたりは文通を続けましたが 、
アポリネールは38歳の若さで亡くなり、
その38年後にローランサンの波瀾万丈な人生もパリで幕を閉じます。
▲モンマルトルにあるアトリエ洗濯船の跡地。ピカソなどの多くの画家や文学者が通ったとされます。
この詩に出会った後、ローランサンがパリの画家だったということを知り、
彼女のことを調べていくうちに
いつかパリに行ったら彼女の歩いた道を歩いてみたいと思うようになりました。
そんな漠然とした思いがかなったのがこのハネムーン。
画家マリー・ローランサンと恋人アポリネールのパリでの地軸を、
少しだけですが歩くことができました。
(私が回ったのはモンマルトル、アトリエ洗濯船、
ミラボー橋、オランジュリー美術館、
そしてヴォージュ広場です。)
私が好きなローランサンの絵は、1920年以降のパステルカラーの作品です。
晩年の彼女は赤や黄色も取り入れるようになったそうですが、
それまでは自分の好きなブルー、グリーン、ピンク、白、
そして黒の
5色しか使わなかったのだといいます。
明るさよりも、メランコリーで淡く影のある、どこか幽霊のような女性たちの絵。
でもどこか惹かれてしまうのです。
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一方、ギョーム・アポリネールはフランスを代表する文学者ですが、
イタリアのローマ出身のポーランド人でした。
1909年の代表作「腐ってゆく魔術師」のような
象徴主義の影響を受けた詩や
句読点を一切用いないといった「アルコール」という詩、
また、文字を使って絵を描くという斬新な手法を用いたことでも有名です。
日本では「ミラボオ橋」という詩がよく知られています。
▲サン・ジェルマン・デュ・プレ教会の中庭に建つアポリネールの銅像。
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ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れ
われ等の恋が流れる
わたしは思ひ出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る
手と手をつなぎ顔と顔を向け合う
かうしてゐると
われ等の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる
日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る
流れる水のやうに恋もまた死んで逝く
恋もまた死んで逝く
生命(いのち)ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る
日が去り月が行き
過ぎた時も
昔の恋も
ふたたびは帰らない
ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れる
日が暮れて鐘が鳴る
月日は流れわたしは残る
ギィヨオム・アポリネエル「ミラボオ橋 Le Pont Mirabeau」堀口大學・訳
▲パリ4区にあるミラボー橋。
ローランサンが去った後も彼女を愛し続けたアポリネールが、
彼女を思って作った詩のひとつであるミラボー橋。
この詩でアポリネールは「月日は流れわたしは残る」と書きましたが、
実際はアポリネールのほうが、ローランサンを残して行ってしまったのかなあと、
ふたりのプロフィールを読んでいて思いました。
このときの旅では時間の関係で回ることができなかったのですが、
ペール・ラシューズにはローランサンとアポリネールの墓地もあります。
調べてみると、二人の墓地はそう離れてはいません。
でも隣同士でもない。
そんな二つの墓の間の距離は、
二人の間に出来てしまった埋めようのない何かを象徴しているような気がします。
ミラボー橋を目の前にして、
アポリネールとローランサンが寄り添って佇む姿を想像しました。
ローランサンが去った後も、
アポリネールはここで彼女との楽しかった思い出を振り返っていたのかなあ。
この橋を見たのが夕方だったせいか、
妙に哀愁感が漂っているように思ってしまいました。
もし魔法を使えたら、ローランサンと知り合い、
モンマルトルを歩いたり、カフェでコーヒーを飲みながら いろんなことを話して、
彼女が死ぬ直前まで追いかけていた夢がどんなものだったのか、
彼女の愛とは何だったのか、
彼女の言葉で教えてもらいたいって思います。