「日本人は、核に対して『ノー』と叫び続けるべきだった」
コンドミニアムの入り口脇に、ピンクの野バラが植えられました。
甘い香りがドアを開け閉めするたびに漂って来て、とても嬉しいです。
昨日は11日でした。
もう3か月か、という気持ちもあるし、まだ3か月という気持ちもあります。
前回は村上龍氏だったけれど、
今回はカルターニャ国際賞*を受賞した村上春樹氏のスピーチの原文が
10日付けの毎日新聞に載っていました。
日本人として、そして国際人としての村上氏の思い。
(Youtubeにスピーチの映像がありました。是非探してみて下さい。)
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“日本語には無常(mujo)という言葉があります。
いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。
この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、
すべてはとどまることなく変移し続ける。
永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。
これは仏教から来ている世界観ですが、
この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、
日本人の精神性に強く焼き付けられ、
民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
しかし日本人はそのようなあきらめの中に、
むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、
熱心にそれらを観賞します。
桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、
その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。
そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、
鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。
美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。”
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「日本人は自然災害は許せるのです。でも原発は許せない。
なぜなら、原発を作り出したのが、人間だったからです」
そう言ったある先生の言葉が、ずっと頭から放れません。
*カルターニャ賞とは、スペインのカタルーニャ自治州政府が文化的あるいは学問的に
世界でめざましい活躍をした人に贈られる賞のことだそう。