(長文です)
5月29日の今日は私にとって特別な日。
カナダで暮らしはじめて、今日でちょうど10年目なのです。
10を指で数えてみると、両手が塞がってしまう。
そんなにも長い年月、ここにいたのかと思うと、ほんとうに自分でもびっくりです。
語学学校へ通って、ボランティアをしながら大学に入るためにTOEFLの勉強をして、
大学に入って、死ぬほど勉強して、卒業して、
仕事をして、結婚して、
いろんな人に出会って、なんて長かった10年・・・
なーんて嘘です。
あっという間の10年でした。
先輩方からは「10年なんてまだまだよ!」って笑われそうですね(^^)
〜〜〜
ミロッシュのセカンドアルバムを買いました。
ファーストは「地中海」がテーマでどちらかというとメロウな落ち着いた選曲でしたが、
今度のは「情熱」がテーマとあってラテンアメリカの音楽が詰まっています。
全体的な印象としては
終始ジャンプしながら踊りまくるような「表に出す情熱」ではなく、
まるで心の底から己の思いを絞り出すかのような「静かな情熱」な感じです。
でも明るさも忘れてない・・・みたいな。
ふう、すてき。どっちも好きだな。
「涙」という意味の「
ラグリマ」はいちばんのお気に入り。
たった2分足らずのピースが心地よく、
自分の日々の躓きを許してもらえるような気がします。
ファーストアルバムについていたDVDを見ました。
ミロッシュはバルカン半島のモンテネグロ出身。
そのモンテネグロ(元ユーゴスラビア連邦共和国/セルビア・モンテネグロ)にも衝撃を与えた
ユーゴスラビア紛争を目の当たりにし
十分な物資がない生活の中で生きてきた彼ですが、
両親の部屋で埃をかぶったギターを見つけたときから、
ずっとギターと人生を共にして来ました。
13歳のときにフランスに招待を受け演奏旅行をしたことがあったそうですが、
当時彼のご両親はお金をかき集めて、
彼にリサイタルで着るスーツを買ってくれたそうです。
DVDには彼の子供時代の映像もありました。
TVでギターを弾きながら歌う小さな彼がとってもかわいい。
彼はいわゆる神童だったかもしれないけれど、
本物の音楽家になるために人一倍努力し、
そして何よりも「やりたい」という思いを持ち続けて来たことがすごい。
彼自身、「子供の頃の映像を見ていると、
その年齢であれだけの大きいことをやって来こと、
そして自分がどれだけギターを弾きたかったのかということに驚嘆する」
と話していました。
映像の中でとても印象に残っているのが、
「17歳で国を出たので、
他の人のように自国に自分のルーツを十分に残すことが出来なかった」という言葉。
この気持ち、すごくよくわかる気がします。
ロンドンの音楽学校にどうしても入りたくて
まわりに内緒でオーディションビデオを作り送ってしまった彼のように、
私もどうしても外国に行きたくて、学校への手続きやホームステイのアレンジ、
1からすべて自分でやったなあと。
今思うと、それこそすごい情熱。すごい希望。
そんな留学時代は楽しかったし、辛かったし、いろんな意味で自分を鍛えてくれました。
それでもふと、
もし自分が日本に残って日本の大学に行っていたらと思うことがあります。
ルーツの意味をすごく考えることもあります。
自分で選んだ道だけれど、それでも、
日本にいればこんなに苦労することもなかったのに。
もしカナダに来なければ、
日本の大学に通って、
アルバイトしたり、お洒落したり、どんなに楽しかったかな。
日本での常識が通じない場所でやきもきすることも少なかっただろうし、
寂しいっていう気持ちをこれほど味わうことはなかったんじゃないかな。
気付くと、そう感じていることがありました。
でも最近、こう考えるようになりました。
「もし」という仮定の世界を描いてみても
その世界がこの現実の世界よりいいものだったかは分からないし、
どんな道を選んでも、同じくらいのメリットとデメリットは存在したはず。
楽しい、嬉しいという気持ちや達成感は
「仮定の世界」と同じだけ「現実の世界」で感じ取って来たはず。
だからこれまで自分がして来た選択は、けっして無駄じゃなかったはず。
そんな私の思いを、映像の中のギタリストが分かってくれたような気がしました。
(彼と違って何の功績も残していないし、
苦労も努力も彼の半分にも満たない私が言うのはずうずうしいのですが。)
あっという間の10年の間、ほんとうにいろんなことが変わりました。
太ったし(><)
ベタですが、その間私を支えてくれた日本の両親には感謝してもしきれません。
いつもありがとう。そしてごめんね。
でもこれからもここで頑張ります。
〜〜〜
ミロッシュのギターの音色は、
私のこの10年に「頑張ったね」「成長したね」と
メッセージを送ってくれているような気がしました。
やっぱり、ずうずうしいですね(^^)