大学の英文学の授業でシェークスピアの「ハムレット」についてのプレゼンがあり、
一文も漏れ残すことなく、ひとつひとつ意味を考えながら読んだことがありました。
デンマークの王子様のお話。
ネイティブに混ざってのプレゼンなので、発音や話し方で誤解を与えないように、
また小学生のような内容にならないように、
準備に何日も費やしました。
寝る暇もないほど大変だったけれど、今はとってもいい思い出。
なのにすべてのプレゼンが終わったあと、教授が簡単に放った一言が衝撃でした!
「Too much thinking. ハムレットはね、考えすぎちゃったんだよ」
「えっ・・・ハムレットをひとことで片付けたよ、この人・・・」と思ったよ。
伯母の部屋に遊びにいくのが、子供の頃から好きでした。
美術の先生だったり、外国に住んだり、秘書だったり、建築の勉強をしたり。
そんな多才な伯母の部屋はたくさんの道具や本をはじめ、
見たことのない面白いもので溢れていました。
そんな伯母の部屋の本棚にあった一冊の本。
母が「あなたは感受性が強いから読んじゃダメよ」と言って、
読ませてくれなかった。
12歳くらいのときのことです。
そんな本を、
数年前にバンクーバーのBook Off(今はもうないのです)で見つけたときは、
びっくりするよりもやっと読める年齢になったのだと思いました。
12歳の頃なら読んでもよく分からなかったと思うけれど、
確かに今より若い頃だったら感化されていたのかもしれない。
エツコさん(著者のことです)の考える力。
読書量。
なんて未熟なんだ〜と自分を責めていた彼女だけれど、
20歳にしてこんなに考えることができる人間はそうそういないと思うのです。
私なりにたくさんのことを考えながら大人になったと思うけれど、
きっと彼女の思考力の半分も、私は持ち合わせていなかったんじゃないかなあ。
若さと無知は比例しているのだから、それを恥じることはない。
でも悩むことが大人になるってことなんだよね。
残念ながらエツコさんは自らこの世を去ってしまったけれど、
もし同じ時代に生まれていたら、私はどんな生き方を選んだかな。
彼女のような「考える力」をきちんと持てていたのかな。
彼女が生きていたら60代。
もし違う道を選んでいたら、彼女は今、この世界のことをどう見つめていたのかな。
時代と思想の重みを感じます。
“独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。”
彼女の有名すぎる言葉。
でも次の言葉にも切なくなります。
“人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、
不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。 ”
学生運動が盛んだった時代。
自分の立ち位置を白か黒で決めなければならないと感じていた時代。
その時代を生きていない私には理解できないこともたくさんあるけれど、
あなたが言ったその言葉の通り
人間はどの時点に立っていたって、
常に未熟なものものではないのかな。
それはあなただけのことじゃなかったのに。
将来のこと、恋愛のこと、家族のこと。
太宰にジャズにシアンクレール。
シュプレヒコールと暴力のツアイトガイストの中で、
大好きなショパンを聴きながら、
ハムレットのようにいろんなこと
考えすぎてしまったんだね。
高野悦子「二十歳の原点 (新潮文庫)」
Nocturne in E-flat Major, Op. 9, No. 2 by F. Chopin