Wednesday, June 30, 2010

Boy, whose name was June


数日前、ちょっと懐かしい夢を見ました。 
以前、何度かデートした男の子の夢。
その男の子に出会ったのはもう何年も前のこと。
当時私が取っていたクラスに半年遅れで入って来たのが彼で、
「すごいジャニーズ系だなあ」と思ったのを覚えています。
彼には別の学校に通う双子のお兄ちゃんがいて
お兄ちゃんはカーリーヘアで弟はストレート。
2人一緒に見ると、何だかアニメのキャラクターのようでした。 
彼の場合クラスで一番年下ということもあり
ほんのちょっとだけ浮いていて、
その次に年が若いのは私だったから、
結構色々な場面で作業を共にすることがありました。
そんなある日、ふと映画の話になって、
私が見たい映画の試写券をたまたま彼が持っていたことから、
一緒に行こうと誘われたのがきっかけでした。

今思うととても可愛かったなあ。
初恋のときみたいな可愛らしさでした。
夜、近所を歩きまわるの、楽しかった。 

今でも彼のプリクラ残ってるかなあなんて一瞬家中を探したくなったけれど、
やめておきました。
「そういえばそんなときもあったね」と思い出せたことだけで十分に嬉しかったです。

 綴りは違うけれど「6月」という名前だった男の子。
年下の男の子とデートしたのは、彼が最初で最後だったな。
それはまだ彼が17で、私が19だった頃のお話。

Monday, June 28, 2010

X-Site Grill & Bistro


土曜日は友人とノース・バーナビーにある「X-Site Grill & Bistro」へ。
家から車ですぐ行けるので、主人とよく行くレストランです。
リーズナブルでサラダも多いことから、何となくヘルシーな感じもして。
 いつもはここのサーモン・バーガーかペストー・チキンを頼むのだけれど、
この日はマッシュルームが異様に食べたかったので、
マッシュルーム・バーガーにしました。


  ガッツリと食べた後は、ヘースティングスをブラブラ。
最後にラテを片手に休憩してから別れました。
キッツに住んでいる友人、
普段ほとんど来ることのないノースバーナビーで楽しんでくれたかな。

Friday, June 25, 2010

Sound

また山村光春さんに影響されて、
1年がかりで母に頼んで探し出してもらった阿部海太郎さんの
「Soundtrack for D-Bros」。
プロダクトデザイン・プロジェクトD–BROSの為に作った楽曲を
ひとつにまとめたものだそうです。
彼はピアノやバイオリン、パンデイロなどを使って演奏する作曲/音楽家なのですが
弾き手としてではなく、「音楽」という理念を勉強する為に渡ったパリでの生活の中で、
写真を撮る代わりに街の中で聞こえてくる音をレコーディングし、
それを自分の音楽と混ぜてCDにし、お世話になった方に送ったのだそうです。
これはそんな阿部さんの2作目のCD。
 彼の音楽は、耳に入ってくる日常的な音を大切にしていて、
「何気なくそこに存在する音」に焦点を当てています。
最近のJohn Zornにしろ、
こういった「いつもはスルーしてしまうであろう音」を大切にしている作品が
とても好きです。
普段は気付かない、でも日常からそれは必ずこぼれ出ている、
そんな”something precious”な発色。



“僕にとってのサウンドトラックは、 
映像やプロダクトから生まれるもう一つの作品であり、 
映像と音楽とが邂逅する、 あるいは、シーソーのように遊んでいるのが理想なのです。” 
阿部海太郎「Soundtrack for D-Bros」より 

Thursday, June 24, 2010

Hazelnut Frosting on Black Cake


今日は新しいケーキのレシピを試してみることにしました。
アメリカのケーキなのでお砂糖と脂肪分が恐ろしいのですが、
フワフワスポンジでとても気に入りました。
クリームはヘーゼルナッツのフロスティングです。


今日はケーキを食べながら、
とってもカッコいいElla FitzgeraldさんのBestを聴いていました。
有名な「Lullaby of Birdland」や「You’ll Have to Swing It」など・・・
何だか踊り出してしまいそう♪

   

ここ数日、朝は曇っていても午後は蒸し暑いほどのいいお天気に。
このまま良い天気が続きますように。

Tuesday, June 22, 2010

Mango Icy


クリスタル・モールのフード・コートへ、台湾式かき氷を食べに行きました。 
この日は大きいサイズのマンゴーのかき氷を、友人とシェアして食べました。
 マンゴーたっぷり〜。 
でもひとつ気に入らなかったのが、
トッピングのアイスクリームがナポリタンだったこと。 
ただのバニラがよかったな〜。 
女優の蒼井優ちゃんは台湾かき氷が好きで、
1度に2つも食べれると言っていたけれど・・・。
2つも食べたらお腹こわすだろうなあ。

The Modern Woman


先週の金曜日はお昼過ぎからは奇麗な青空が広がり、
立ち寄ったオフィスから2分ほどの場所にあるアート・ギャラリーへ出向きました。
 19世紀のオランダの巨匠、ダ・ヴィンチの解剖画スケッチに続き、
今回は「The Modern Woman」というタイトルで、
オルセー美術館所蔵の印象派展が催されていたからです。
今回はオルセー美術館のコレクションからドガ、ルノワール、ロートレックらの
スケッチやパステル画が集められていました。
規模は小さいけれど、
これはオルセーが初めてフランス国外で企画した展示会ツアーなのだそう。
5月にオルセー美術館に行ったときは、ドガは駆け足となってしまっていたので、
今回の展覧はとても嬉しかったです。
本館のコレクションは多少異なるけれど、前回とは違い、
作品を心行くまで鑑賞することができました。

「L’Absinthe (1875)」by Edgar Degas. 
この絵の女性の表情に親近感を覚えて以来、とても好きな作品です。 

パリに比べれば閲覧者も少ないので、
何も考えずに1枚1枚を鑑賞することができました。
でも今回の展覧で一番良かったことは、
普段オルセー美術館では見ることの出来ないものも見ることができたということ。
通常は展示されてはおらず、ルーブルで保管されているだけという作品もあり、
密やかに感動してしまいました。 
説明書きには今回の展覧の大まかなテーマについて書かれていました。
フランスでは1850年代になると、
ポートレート、歴史画、そして風景画のような古典的テーマではなく、
「何か新しいもの」からインスピレーションを受けようという理念が生まれ、
それまで天使や女神として描かれていた女性を、
「ありのまま」に映し出すことが良しとされたといいます。
年齢、階級、宗教、そしてゴーギャンを含めれば民族・人種をも超えた
全体的な「女」というものをモチーフにしたのです。
そしてその先駆けが、例えばドガの描いた踊子たちでした。 
巨匠たちが有名な絵を完成させるまでの経緯を
鉛筆やチャーコルによるデッサンなどで垣間見ることが出来、とても興味深かったです。
今回のこの「The Modern Woman 現代女性」は
それまで新しい何かを掴みたくてたまらなかった画家たちの葛藤と試みが現れていた、
面白い展覧でした。

 “In painting you must give the idea of the true by means of the false.” 
Edgar Degas


「女」を「実際に存在するもの」として捉えようとした19世紀のフランス画家たち。
その画家たちのほとんどは「男」でした。
それから200年以上も経った今、「男」たちは「女」をどう捉えているのでしょうか。

Sunday, June 20, 2010

Lupins

暦的には明日から夏になるカナダ。
でも今年は天気の変動がかなり激しいバンクーバー、
6月も後半に入ったというのに冷夏です。
何で6月に厚いジャケットを着て、
薄手とはいえスカーフをして出かけなければならないんだろう。
暑すぎるのも嫌だけれど、寒い夏なんて最低だわ。


そんな6月は、紫陽花を始め桔梗などのブルー系の花が咲き誇る季節でもあります。
そんな中、最近近所で一番見ることの出来る花はルピナスでしょうか。
4年前にこの山に越して来た頃は、山の途中でピンクから紫にかけて、
色とりどりのルピナス畑を見ることが出来ました。
残念ながら現在は道路の隅っこにちょこっと咲いている程度だけれど、
この細長い花を見ると夏の前触れを感じさせてくれます。
私はピンクや白よりも、紫やこういう青っぽいルピナスのほうが好きなので、
家に帰る途中にこれを目にすることが、ここ1ヶ月の楽しみでした。
ところでどうでもいいことだけれど、
ルピナスという名前は「オオカミ」に由来するそう。
英語だとルパン3世の「ルパン」と同じ綴りで、
またハリー・ポッターでは「ルピン」という狼男の先生が登場しました。面白い。 
このルピナスの季節も桜と同様にあっという間に過ぎてしまうので、
「あ、咲いてるな」と思った頃が一番の見頃です。
なので、そろそろルピナスの季節も終わりかな。

Wednesday, June 16, 2010

Cafe


ドライブにはたくさんの個人営業カフェがあり、 
ローカル人には独自の行きつけのカフェがあるみたい。 
私はその中でもプラドによく行きます。 
店内は白を基調としていて、絵もオブジェもない、無機質なかんじ。 
この日は窓際に座って、道行く人たちを眺めながらカプチーノを飲みました。

Tuesday, June 15, 2010

Yogurt Cake en Français

ヨーロッパからの帰国前日。
小銭が余っていたので、スーパーの製菓コーナーで見つけた
€1ほどのピンクの小袋を買ってみました。
ドライイーストだろうと勝手に思っていたのだけれど、
家に帰って調べてみると科学イーストでした。 
早速この製造元のHPに飛んでみたら、このalsaというブランドは、
北米のBetty Crockerのような会社らしく、
「卵とミルクを混ぜるだけ」で出来るケーキやマフィンなどを出しているようです。
普段だったら買わない類いのものだけど、せっかくなので、
作りやすそうなレシピを探し、辞書を片手に挑戦してみました。
当たり前にフランス語なので、ところどころは勘です。


 GÂTEAU AU YAOURT SAVEUR VANILLE
 • 1 pot de yaourt (le pot nous servira d’unité de mesure) ヨーグルト
 • 2 pots de farine 薄力粉
 • 2 pots de sucre 砂糖
 • 1 sachet de Sucre Vanilliné Alsa バニラシュガー
 • 3 oeufs 卵
 • 1/2 sachet de Levure Chimique Alsa ピンクの袋
 • 1/2 pot d’huile 油 

材料ではポットと書いてあったのですが、
ポットとは何のことか分からないので「ポット=カップ」として作りました。
しかも今手元にあるのが6カップ分のバント型だったため、
材料は上記の半分にしました。出来上がりは、柔らかいふわふわのケーキで、
味は素朴だけれど美味しいです。
どうやらこのピンクの中に入っていたものは、
ベーキングパウダーとソーダが混ざったもののようで、
イーストではありませんでした。
 2回目に作ったときはお砂糖がなかったので、蜂蜜にしました。
甘味は抑えられたし、ケーキを切ると断面にマーブルが出来て、
そのマーブルが何となく透き通って見えます。
食感はもっとお餅のような重みのある感じになって、それも良かったです。
 ケーキを焼く間、昔よく英語のレシピを使って
英単語の練習をしたことを思い出しました。
ピンクの袋はあと6つあるので、
頑張ってフランス語のレシピでお菓子づくりを続けてみれば、
仏単語が覚えられるかもしれないなんて、安易に考えているわたしです。

Monday, June 14, 2010

Granville Island


先週の月曜日は主人のお仕事がお休みだったので、
午後から久しぶりにグランビル・アイランドへ行きました。
ここはいつ行っても、色彩豊かです。
6月だというのにお天気がずっと悪くちょっぴり肌寒かったですが、
そしていつもチェックするお店を数件覗き、水辺を散歩してから家に帰りました。
日差しが強かったので、大きなツバ付きの帽子を被りながらのお散歩。
旅行から帰ってきた後は、思った以上にそれぞれ忙しくて、
2人でバンクーバーに足を伸ばしたのは久しぶりでした。
ヨーロッパのように歴史的建造物なんてないに等しい街だけれど、
やっぱりこの街もキレイだなあと思います。
パブリック・マーケットには「こごみ」も出始め、
そろそろ夏野菜が美味しくなってくる頃。

この日、小さな劇場の裏を歩いていたら、新しいお店が出来ていました。
キャンドルやバスグッズを集めた雑貨屋さんです。
これはケーキ型で作った、ゼリーのような石けん。
これを切り売りしてくれるのだそう。

Sunday, June 13, 2010

Breakfast in Crosstown


カナディアンの友人に 教えてもらった
「バンクーバーで1番美味しいブレックファーストとワッフルが食べられるお店」にて
友人とブレックファースト。
サーモンのサンドウィッチを楽しみました。

Cafe Medina, Crosstown, Vancouver 

Saturday, June 12, 2010

Paris Map


パリに着いて最初に買ったものがミュージアムパスとブルーのカバーの地図。  
地図はパリに住む方にも勧められたもので、
パリ中心地が明細に描かれている値段の安いほうを買いました。
慣れるまではちょっと時間が掛かるけれど、
「道の名前」で場所を検索出来るようになっています。 
パリでは小さな道がうじゃうじゃしているので、
観光客の私たちにはものすごく分かりにくい。
でも行きたい住所が手元にあるなら、道の名前で探せばあっという間に見つかります。

元々地図を見るのが好きなので、パリでさんざん活用した後は、
お土産として持って帰ってきました。
家でゆっくりと地図を眺めているのも、楽しい(^^) 
どこに行ったのかを忘れないように、行った場所の住所を地図に貼って、
歩いた道にはラインマーカーで印を付けました。
またパリに行くことがあったら、この地図に新たな印を入れて、
私達だけのパリ・ガイドがつくれるかな〜。  

ミュージアムパスはパリの空港に着いたときに買いました。
たくさんの施設に対応していて、時間の短縮になるのでおススメです。

Paris #2


Au Revoir, Paris!

Friday, June 11, 2010

Laurencin and Apollinaire

退屈な女より もつと哀れなのは かなしい女です。 
かなしい女より もつと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もつと哀れなのは 病気の女です。 
病気の女より もつと哀れなのは 捨てられた女です。 
捨てられた女より もつと哀れなのは よるべない女です。 
よるべない女より もつと哀れなのは 追はれた女です。 
追はれた女より もつと哀れなのは 死んだ女です。 
死んだ女より もつと哀れなのは 忘れられた女です。 

 マリイ・ロオランサン「鎮静剤 Le Clamant」堀口大學・訳 


 上の詩は、パリの女流画家として活躍したマリー・ローランサンの詩で、 
堀口大學の翻訳の中でも最も有名なひとつです。 
外交官として様々な国に滞在した父、
ベルギー人の義母と異母兄弟たちを持った堀口氏は、 
23歳のときにスペインでマリー・ローランサンと知り合いになりました。
 その後ローランサンよりアポリネールの詩を紹介され、 
フランスの文学作品を訳すようになるのです。 
 この詩をはじめて知ったのは
昔 母と一緒に読んだ小沢真理さんの「世界で一番優しい音楽」ででした。 
当時私は中学生でしたが、
言葉には洗わせられない衝撃があったのを覚えています。

 〜 

ローランサンは私生児として1883年にパリで生まれました。 
高校卒業後にアカデミー・アンベールで絵の勉強をしていた頃、
 後にピカソと共にギュビズムの創始者となる 
一つ年上の画家ジョルジュ・ブラックと知り合いました。 
ちなみにキュビズム(Cubism英)とは、
20世紀初頭に創始された「多数の角度から見た物の形を一つの画面に収める」という技法。 
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていた一点透視図法だったため、現代美術に大きな影響を与えました。 
どうでもいいけれど、私はあんまり得意じゃないタイプです。 
その為、ローランサンもギュビズムを強く思考した作品を描き始めた頃、 
モンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)というアトリエで、 
ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールに紹介されました。 
当時アポリネールは27歳、ローランサンは22歳。 
すぐさま二人は恋に落ちたそうですが、 関係は長くは続きませんでした。 
(理由に至っては長くなるので割愛。) 
別れてからもふたりは文通を続けましたが 、
アポリネールは38歳の若さで亡くなり、 
その38年後にローランサンの波瀾万丈な人生もパリで幕を閉じます。 

 ▲モンマルトルにあるアトリエ洗濯船の跡地。ピカソなどの多くの画家や文学者が通ったとされます。

この詩に出会った後、ローランサンがパリの画家だったということを知り、 
彼女のことを調べていくうちに 
いつかパリに行ったら彼女の歩いた道を歩いてみたいと思うようになりました。 
そんな漠然とした思いがかなったのがこのハネムーン。 
画家マリー・ローランサンと恋人アポリネールのパリでの地軸を、 
少しだけですが歩くことができました。 
(私が回ったのはモンマルトル、アトリエ洗濯船、
ミラボー橋、オランジュリー美術館、 そしてヴォージュ広場です。) 


私が好きなローランサンの絵は、1920年以降のパステルカラーの作品です。 
晩年の彼女は赤や黄色も取り入れるようになったそうですが、 
それまでは自分の好きなブルー、グリーン、ピンク、白、 そして黒の
5色しか使わなかったのだといいます。
 明るさよりも、メランコリーで淡く影のある、どこか幽霊のような女性たちの絵。 
でもどこか惹かれてしまうのです。 

〜〜〜 

サン・ジェルマン・デュ・プレ教会の中庭に建つアポリネールの銅像。

 一方、ギョーム・アポリネールはフランスを代表する文学者ですが、
イタリアのローマ出身のポーランド人でした。 
1909年の代表作「腐ってゆく魔術師」のような 
象徴主義の影響を受けた詩や 
句読点を一切用いないといった「アルコール」という詩、 
また、文字を使って絵を描くという斬新な手法を用いたことでも有名です。
 日本では「ミラボオ橋」という詩がよく知られています。 

 ▲サン・ジェルマン・デュ・プレ教会の中庭に建つアポリネールの銅像。 

 〜 

 ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れ  
われ等の恋が流れる わたしは思ひ出す  
悩みのあとには楽しみが来ると 
 日が暮れて鐘が鳴る  
月日は流れわたしは残る 
 手と手をつなぎ顔と顔を向け合う かうしてゐると  
われ等の腕の橋の下を  
疲れた無窮の時が流れる 
 日が暮れて鐘が鳴る  
月日は流れわたしは残る 
 流れる水のやうに恋もまた死んで逝く  
恋もまた死んで逝く 
 生命(いのち)ばかりが長く  
希望ばかりが大きい 
 日が暮れて鐘が鳴る  
月日は流れわたしは残る 
 日が去り月が行き 過ぎた時も  
昔の恋も 
ふたたびは帰らない 
ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れる 
 日が暮れて鐘が鳴る  
月日は流れわたしは残る 

ギィヨオム・アポリネエル「ミラボオ橋 Le Pont Mirabeau」堀口大學・訳 

▲パリ4区にあるミラボー橋。 

ローランサンが去った後も彼女を愛し続けたアポリネールが、
 彼女を思って作った詩のひとつであるミラボー橋。 
この詩でアポリネールは「月日は流れわたしは残る」と書きましたが、 
実際はアポリネールのほうが、ローランサンを残して行ってしまったのかなあと、
 ふたりのプロフィールを読んでいて思いました。 

このときの旅では時間の関係で回ることができなかったのですが、
 ペール・ラシューズにはローランサンとアポリネールの墓地もあります。 
調べてみると、二人の墓地はそう離れてはいません。 
でも隣同士でもない。 
そんな二つの墓の間の距離は、 
二人の間に出来てしまった埋めようのない何かを象徴しているような気がします。
 
ミラボー橋を目の前にして、
 アポリネールとローランサンが寄り添って佇む姿を想像しました。 
ローランサンが去った後も、 
アポリネールはここで彼女との楽しかった思い出を振り返っていたのかなあ。 
この橋を見たのが夕方だったせいか、
妙に哀愁感が漂っているように思ってしまいました。 

もし魔法を使えたら、ローランサンと知り合い、
 モンマルトルを歩いたり、カフェでコーヒーを飲みながら いろんなことを話して、
 彼女が死ぬ直前まで追いかけていた夢がどんなものだったのか、
 彼女の愛とは何だったのか、
彼女の言葉で教えてもらいたいって思います。 

Thursday, June 10, 2010

7th Arrondissement: La tour Eiffel



パリ滞在中、顔を上げると見えるエッフェル塔。 すごい存在感。


じっと塔を見上げていると、2003年にNYに行ったときのことを思い出しました。
駅地下から出て初めて見たNYは、
朝日をバックに佇むエンパイア・ステート・ビルでした。
その眺めはそれまでに感じたことのないほどの感動で、
NYに来たことを芯から感じさせてくれたのです。
それと同じで、やはりエッフェル塔はパリの象徴なのだと改めて認識しました。
 「鉄の刺繍」とはよく言ったもの。
近くに寄ってみると、ほんとうにキレイな刺繍模様。
やっぱり惹き付けられるものがあり、何度も足を運びたくなってしまいました。

ある日は、芝生の上でクロワッサンを食べながら塔を眺めていました。
子どもたちが芝生の上を駆け回ったり、お昼寝したりする姿を見て、
次にパリに来たときは、ここでピクニックをしようと思いました。



塔から少し離れると人がうんと減るので、
ラテを飲みながらベンチに座って眺めたり。






青空をバックに立つ塔もいいけれど、
夜ライトが点ると、さらに素敵でした。


これは9時過ぎのエッフェル塔。
このなんともいえないブルーと、ライトの黄金のようなイエローのコントラストが好き!
またまたブルーとイエローの組み合わせですね。



そして夜。
たぶんこれは11時半頃の写真です。
主人はもっとキラキラとリズミカルにライトが点くのを期待したそうですが、
これだけでも十分ロマンティックでした。
様々なバックグラウンドやサラウンディングで
それぞれ違った趣のエッフェル塔が見られるのも、
パリを歩く楽しみのひとつになると思います。

またいつか、一緒にこの場所に戻ってこようね。