Friday, December 10, 2010

Today Never Comes Again

「信用と信頼の違いが分かる人間になれ」
 あの頃はその違いがよく分からなかったけれど、
先生はきっと私たちに信じる力を失って欲しくなかったんだよね。
いつまでもそういう仲間でいろと、そう言いたかったのかなあ。 

先日、恩師を亡くしました。
私はカナダにいたのでお葬式のことは知らず、
それどころか、その恩師が病気であったことすら知りませんでした。
昨晩母と電話で話していたときに初めて知り、
妹の担任でもあったので、妹はお葬式に出席したのだと教えてくれました。
癌だったそうです。  
痩せていて、ちょっと禿げていて、
スラックスをしっかりとお臍の上まであげているような先生。
不良でも優等生でも、誰にでも同じ態度で接していて、
社会科の教師だったけれど、
授業よりも、モラルや生き方に、強く価値を見いだそうとする人でした。

 先生に最後にお会いしたのは、2000年の春。
あれから10年。
先生のことを思い出す度に、
次に日本に行ったときは絶対に訪ねようと思っていたのに。
私のように、会いには行けなかったけれど、でも心のどこかで先生を思い出し、
感謝していた人がたくさんいたはず。
あんなに細い身体だったけれど、身体だけでなく先生の心と希望とすべてを使って、
生徒達に体当たりで接してきたあの頑張りと優しさを、きっとみんな忘れてないよ。
そして、そういう先生にはそう出会えるもんじゃないということも、
みんなきっと知っていたよ。 


私が5月にパリへ行ったとき、ちょうど先生もパリにいたそうです。
私たちがウットリとした気分で眺めていたエッフェル塔を、
自分が末期だと知っていた先生はどんな思いで見上げていたのかな。
 母との電話の後、久しぶりに誰かのことを思って泣きました。
X JAPANのHideが死んだとき、落ち込む生徒に向かって、
自分の名前がメンバーのYと同じだと嬉しそうに言いいながら慰めようとしていたよね。
読書好きなくせに国語が苦手だった私に
「国語が出来るのと、何かについて考える力を持てることとは違う」
と言ってくれたこと。
私のへたっぴな油絵を褒めてくれたこと。
私の微妙にずれた考え方を理解してくれたこと。
あとね、私の「スラムダンク」を没収しないでくれて有り難う。
いつか先生とお酒を飲みながら、大人の話をしたかったなあなんて思うけど、
それでも、今でも「今日のあとに今日はなし」と叫ぶ先生の声が、
どこからともなく聞こえてくるような気がするよ。 
今日のあとに今日はなし。
ほんとうにその通りですね。
出会えてよかったです。
ありがとう、先生。